2024年3月8日、漫画家の鳥山明先生が68歳で亡くなったことが世間に公表されました。
代表作であるドラゴンボールやDr.スランプは、数々の漫画家さんの作風に影響を与えています。
鳥山先生を尊敬する漫画家さんで、ジャンプに連載していた8名の追悼コメントとエピソードをまとめました。
ドラゴンボール芸人や声優さんのコメントもありますので、こちらの記事もぜひご覧ください。
鳥山先生を尊敬するジャンプ漫画家8名の追悼コメントとエピソードは?
鳥山明先生に追悼コメントを寄せた漫画家8名をご紹介します。
鳥山明先生の訃報を受けてコメントした漫画家8名を見る
- 尾田栄一郎:代表作『ONE PIECE』
- 岸本斉史:代表作『NARUTO』
- 空知英秋:代表作『銀魂』
- 井上雄彦:代表作『SLAM DUNK』
- 村田雄介:代表作『アイシールド21』
- 矢吹健太郎:代表作『To LOVEる -とらぶる-』
- 森田まさのり:代表作『ろくでなしBLUES』
- うすた京介:代表作『ピューと吹く!ジャガー』
漫画家の先生方からの鳥山先生へのコメントと、それぞれのエピソードを見ていきましょう。
①尾田栄一郎:代表作『ONE PIECE』(週刊少年ジャンプ)
2015年には「世界中で最も売れている」ギネス記録にもなった、大人気漫画「ONE PIECE」。
ONEPIECEの作者である尾田栄一郎先生は、子どものころから鳥山先生に大きな憧れをもっていました。
鳥山先生の訃報に際して、ジャンプ公式HPより発表された尾田先生のコメントはコチラです。
あまりに早すぎます。
空いた穴があまりに大きすぎます。もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。
子供の頃から憧れすぎていて
初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。
我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道
岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。
最後に交わした会話も覚えています。漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り
大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり
漫画ってこんな事もできるんだ
世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。
突き進むヒーローを見ているようでした。漫画家に限らず
あらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代に
ドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。
その存在は、大樹です。同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって
鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。
怖いくらいに。
でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。
僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。鳥山先生の残された創造性豊かな世界に
敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように。
引用:週刊少年ジャンプ公式HP
鳥山先生への大きな尊敬と愛が伝わります…涙
若き日の尾田先生が、鳥山先生にサインをもらいに行った時の秘話も明かされていますよ。
尾田先生が徳弘先生(ジャングルの王者ターちゃんの作者)のアシスタントをしていた時代の話です。
ワンピースの尾田栄一郎先生は鳥山明先生が存在したから漫画家を目指したくらいの大ファン
— 雨史ガエル@🐸 (@amefumi_saga) March 8, 2024
ターちゃんの作者こと徳弘正也先生が2人の初邂逅に絡んでいた事はもっと知られていいと思います
お悔やみ申し上げます#鳥山明 pic.twitter.com/z3KavrQHX7
2007年にはドラゴンボールとワンピースのクロスオーバー作品「CROSS EPOCH」が発表されました。
鳥山先生と尾田先生といえば、対談がきっかけで作られた「ドラゴンボール✕ONE PIECE」の合作漫画『CROSS EPOCH』を思い出すなあ
— まな (@mana__) March 8, 2024
尾田先生がネーム作り、鳥山先生が原稿確認。2人で作った伝説のコラボ漫画…
いつか第2弾がないかと淡い期待を抱いてたけれどそれも叶わぬ夢になってしまった😔#onepiece pic.twitter.com/H2e7eLi69k
尾田先生自身が「1番楽しんでいた」と巻末コメントに寄せるほどの出来で、ファンにはたまらない内容。
鳥山先生も「尾田先生は絵がうまい、丁寧」と語っていたことがあり、お互いに尊敬していたのですね。
②岸本斉史:代表作『NARUTO』(週刊少年ジャンプ)
岸本斉史先生の代表作「NARUTO」は、優れた業績をあげたとして文部科学大臣から賞をもらったことがあります。
尾田先生のコメントにも登場していましたが、岸本先生も鳥山先生を大尊敬していた漫画家の1人です。
鳥山先生へ捧げる岸本先生のコメントも、ジャンプ公式HPより発表されました。
突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。
ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。
嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。
本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!
大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。
とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。
でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。
僕も先生のような作品を作りたい!
先生のようになりたい!
と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。
漫画作りが楽しかったからです。
先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。
先生はいつも僕の指針でした。
憧れでした。
先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。
僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。
ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。
ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。今、先生のご訃報を受けたばかりです。
ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ…
まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。
今は大好きなドラゴンボールも読めません。
先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。
世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。
もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…
それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。
そして本当にお疲れ様でした。残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。
引用:週刊少年ジャンプ公式HP
ご自愛くださいませ。
鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。
岸本先生はNARUTO完結後に「憧れの鳥山先生に近づいたと思われますか?」と記者から質問されています。
その時の岸本先生の回答がコチラです。
いやいやいや! そんな、何言ってんですか、恐れ多いですよ(汗)! でも、みんな鳥山先生みたいになりたいと思うんですけれど、鳥山先生のようにはなれないと途中で気付くんですよ。目標の人や憧れの人がいるのはすごくいいことです。でも「そのもの自体にはなれない、自分はどうすればいいのか」を考えることが大切なのかなと思いましたね。それはある意味、ナルトで気付けたなとは思いますね。
引用:週プレNEWS
リスペクトしつつも、自分の道をみつけたんですね!
ナルトがド根性で道を切り開いていく部分は、鳥山先生に憧れた岸本先生の姿に似ているのかもしれません。
③空知英秋:代表作『銀魂』(週刊少年ジャンプ)
全77巻の大ヒット作「銀魂」の作者・空知英秋先生も、好きな漫画は「ドラゴンボール」と公言。
銀魂の作中でもたびたび登場するドラゴンボールパロディは、元ネタを知っているとより楽しめるものでした。
空知先生は、アニメ銀魂の公式Xでコメントを発表しています。
ドラゴンボール、ドラゴンクエスト、クロノ・トリガー、僕が宿題を放りなげ、寝る間も惜しんで没頭した世界は、思えば全部鳥山先生のペンから生まれたものでした。
そしてそのペンに憧れ、真似ようとするも全然うまくいかず、積もり積もった消しカスから生まれたネリケシ漫画家が僕です。
鳥山先生、僕にたくさんの世界を、漫画の世界を教えてくれてありがとうございました。
おかげで僕は鳥山先生、とよたろう先生以上に、ドラゴンボールで飯を食っているワケのわからない奴になりました。
この胸にぽっかり空いた穴は仙豆を食べても塞がる気がしませんが、先生が世界中にバラまいた元気玉の一つを心に携えて、これからも遥か高みにある、まるで悟空のような先生の颯爽とした背中を追い続け、消しカスにまみれていこう思います。
鳥山先生、本当にありがとうございました。ずっと大好きです。
引用:アニメ銀魂公式X
空知先生は…本当に言い回しがお上手…
悲しみと深い尊敬がありながらもクスリと笑える、空知先生の人柄が表れたコメントです。
鳥山先生の娘さんは銀魂の超ファンであり、それが明らかになった時のやりとりもファンを笑顔にしました。
どんなドラゴンボールパロディがあったのか、思わず銀魂を読み返したくなりますね。
④井上雄彦:代表作『SLAM DUNK』(週刊少年ジャンプ)
日本のバスケットボールブームのきっかけとなった「SLAM DUNK」を描いた、井上雄彦先生。
井上先生は自身のXで鳥山先生へのコメントを寄せました。
なかなか受け止めきれない。 鳥山先生、ありがとうございました。
引用:井上雄彦 X
2018年の週刊少年ジャンプ50周年を記念した特大号では、鳥山先生と井上先生の対談が実現。
そこでは井上先生が「好きな漫画はドラゴンボール」「僕の中で漫画の基準」と明かしていました。
鳥山先生も「井上先生の絵のセンスはどんなに練習してもできない」と絶賛。
同時期に連載していた当時から、お互い意識していたのですね
⑤村田雄介:代表作『アイシールド21』(週刊少年ジャンプ)
アメリカンフットボールを題材にし、アニメ化もされた「アイシールド21」の作者、村田雄介先生。
村田先生は自身のXで、鳥山先生への想いをコメントしました。
僕は漫画家になりたいのではなく、鳥山先生になりたくてこの道に進んだという感覚があります。
鳥山先生のように描きたかった。
連載が始まって間もない頃、お目にかかった際に、ペイペイの新人の僕にドラクエのキャラデザインの経緯をにこやかにお話ししてくださる先生のお人柄に接し、めちゃくちゃ強いのに底抜けに朗らかで人に緊張を与えない悟空やアラレたちは確かにこの方の中から生まれたんだと感じました。
あまりに突然すぎて一日呆然としました。 悲しいのか虚しいのか、突然開いた巨大な穴をまだ受け止めきれません。
巨大な影響を残して頂いた事に感謝しつつ、当分は心の整理に努めつつ、仕事をします。
鳥山先生ありがとうございました。
連載開始時、「ジャンプに掲載されるってことは、ひょ、ひょっとしたら鳥山先生が自分の描いたものを読んで下さるなんてことがあるんじゃ!?」というのが本当に心の支えになっていました。
先生が大事にされている「プロ意識」からするとどうかと思われるかもしれませんが、本当にそうでした。
引用:村田雄介 X
また、村田先生も「漫画との最初の出会いは『Dr.スランプ』」とインタビューで明らかにしています。
漫画家となるきっかけだけでなく、連載中のモチベーションを高めたのも、鳥山先生の存在だったのですね。
⑥矢吹健太郎:代表作『To LOVEる -とらぶる-』(週刊少年ジャンプ)
「To LOVEる -とらぶる-」が少年の心をつかみ、魅力的な女の子を描く技術力が唯一無二の矢吹健太朗先生。
子供のころからドラゴンボールが好きで、バトルシーンは大いに影響を受けているそうです。
矢吹健太朗先生は、自身のXでコメントを発表しました。
長文ですが
心の整理をつけるためにも
個人的な想いを綴らせてください。少年の頃、転校が多く
1人になりがちな僕でしたが
ドラゴンボールの話題をキッカケにすれば
どこでも新しい友だちができました。鳥山先生のイラストをたくさん模写して
マンガを描く楽しさを知りました。
ドラクエもクロノトリガーもハマりました。僕の絵が初めてジャンプに載ったのは
ドラゴンボールの読者企画のハガキでした。
それが一つの自信となり、数年後に漫画賞に投稿する行動につながったと思います。直接お会いする機会には
恵まれませんでしたが、もしチャンスが
あっても恐れ多くて近づけなかったかも…そのくらい憧れの人でした。ToLOVEる10周年で描いていただいた
イラストと優しさ溢れるコメントは
生涯の宝物です。僕の、みんなの人生に
たくさんの楽しい思い出を作ってくれた
鳥山先生、
本当にありがとうございました。いつか頭に輪っかをつけた先生に
引用:矢吹健太朗 X
会える日を祈って…
心よりのご冥福をお祈りいたします。
矢吹先生のコメント中にある「ドラゴンボールの読者企画」では、ゴハンクスというキャラクターを創作。
孫悟飯と青年トランクスの融合した姿で、当時15歳の矢吹先生は見事に「カッコイイで賞」を受賞しました。
また、ToLOVEる連載中には、作中のヒロインであるララを鳥山先生が描いてくれたそうです。
漫画家・矢吹先生が誕生した最初のきっかけは、鳥山先生だったのですね。
⑦森田まさのり:代表作『ろくでなしBLUES』(週刊少年ジャンプ)
ドラゴンボールと時を同じく連載していた「ろくでなしBLUES」の作者・森田まさのり先生。
週刊少年ジャンプで競い合いながらも、鳥山先生を尊敬していた森田先生のコメントはコチラです。
僕はジャンプのアンケートで1位を獲った事は実は一度もない。 一度350票くらい獲って、これはついに1位間違いない!と思った週に、ドラゴンボールが700票でダントツだった。
結局足元にも及ばなかったなぁ…。
なんかずっと鳥山先生の事考えてる。 とんでもない喪失感…。
引用:森田まさのり X
森田先生は高校在学中に集英社主催の「手塚賞」で佳作入選、その表彰会場で鳥山先生と出会っています。
また、忙しくて後回しになっているそうですが、ドラゴンボールイラストのお仕事が入っているそうです。
ぜひその完成を見たいですね!
⑧うすた京介:代表作『ピューと吹く!ジャガー』
シュールなギャグが光る「ピューと吹く!ジャガー」を10年間ジャンプで連載した漫画家・うすた京介先生。
うすた先生も、鳥山先生から影響を受けていたとしてコメントを発表しています。
Dr.スランプでギャグ漫画としてこれ以上ないだろうという傑作を世に残し、その後さらにストーリー漫画家として漫画史に残る最高傑作を生み出してしまう…そんな天才はあと100年は現れないと思います。鳥山先生の作品で沢山の楽しい時間を過ごし、沢山の影響を頂きました。ご冥福をお祈りいたします。
引用:うすた京介 X
実はうすた先生、ONE PIECEの尾田先生とは同期だと、インタビューで明かしています!
やはりDr.スランプやドラゴンボールを読んで育った世代が、近年の連載枠を勝ち取っているのですね。
まとめ
鳥山明先生を尊敬する漫画家・8名がコメントした内容と、それぞれのエピソードをご紹介しました。
鳥山先生を意識して連載していた方、憧れて漫画家になった方など、さまざまな話がありましたね。
「ドラゴンボール」などの数々の名作は、これからも新たな漫画家の道しるべになるでしょう!